「強い心を……」とんかつ店店主が遺した娘たちへのメッセージ【コロナに絶望、店内で焼死】

新型コロナウイルスが蝕むのは体だけではない。その毒性は心にも感染し、ときに死に至らせる。感染拡大による将来に絶望していた東京都内の老舗とんかつ店の店主は、燃え上がる店の中で命を落とした。聖火ランナーでもあり、商店街の人気者でもあった店主の遺書は見つかっていないが、過去に綴った手記には、いまは成人した3人の娘たちへのメッセージが遺されていた。


「とんかつ まるとし」 ©文藝春秋

「もう店をやめるかも」商店街の人たちに悩みを漏らしていた

東京都練馬区にある創業50年のとんかつ店「とんかつ まるとし」で火災が起きたのは4月30日の夜のこと。中から、店主の若山太郎さん(54)とみられる焼死体が見つかった。油を大量に扱うとんかつ店なだけに事故の可能性もあるが、大量の油が遺体に付着していた。警視庁光が丘署が自殺の可能性があるとみて調べているゆえんだ。

新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言の最中、東京都は特定警戒都道府県に指定され、多くの店が休業中。まるとしも例外ではなく、4月13日から営業を縮小。周囲によれば、売り上げが激減するにつれ、若山さんの表情は日に日に険しさを増していったという。

「コロナは長続きしそう。もう店をやめるかも」

商店街の人たちにそんな悩みを漏らしていた若山さん。営業再開に向けて消毒液の確保に奔走し、火災当日も仕込み作業までしていたが、悲観的な見通しを覆すことはついに果たせなかったようだ。

念願の選考に合格した聖火ランナーとしても、東京五輪の延期決定にひどく落胆していたことを、地元の人々は覚えている。

悲しいニュースとは一番縁遠い人こそが若山さんだった。

営業の傍ら慶応経済学部、日大大学院に通い、修士論文も

所属する2つの商店街の理事を兼務するなど、地元では知らぬ者のないバイタリティーあふれる商人。妻の父親から継ぎ、3代目として切り盛りするとんかつ店では、営業の傍ら慶応大学経済学部、日本大学大学院に10年以上通い、修士論文も書き上げ、見事修了した。

米流通最大手「ウォルマート」の研究成果をひっさげ、売り上げ至上主義からの脱却、消費者至上主義の徹底などの経営改革を図って老舗をさらなる成長軌道に乗せた。

打ち水大会、阿波踊り大会、食育の推進。地元活性化のため提案した施策も数知れず。いつしか地元のミニコミだけでなく、テレビ、新聞にも取り上げられ、地域活性化に悩む他の自治体で講演をするまでになっていた。

地域に貢献を果たしてきた店主の明るいニュースの集大成が、昨年12月、2020年東京五輪の聖火ランナーに選定されたことだろう。決まった当初、若山さんは家族や商店街の知人らに喜びを隠さなかったという。

店のホームページには、少しはにかんだような表情で聖火のトーチを掲げる写真が掲載されている。娘達による手作りの表彰状などを励みに長年、マラソンに親しんできたことも選考に加味されたに違いない。

手記に綴られていた家族への愛情

積極的な活動を続けてきた若山さんだが、元来は口下手な部類だったようだ。そんな自分を克服しようと始めた若山さんの手記がある。電子書籍としても出版された手記では、商店街のことばかりではなく、普段はあまり言及することのない家族への思いもつまっている。

とんかつ店での日常、研究生活の悩み、商店街での活動などに加えて手記で目を引くのは家族への愛情だ。日々成長する3人の娘への温かいまなざしが随所に感じられる。フルマラソンに初挑戦したときもそうだ。

「1つのことを継続すること、強い心を持つこと」

《「何事も諦めない気持ち、1つのことを継続すること、強い心を持つこと」を伝えられればと思っていたけど、子供達にとっては僕と一緒に遊ぶことの方がうれしかったようだ。でも何かしら心に残っただろう》

単なる手記ではないのは、娘や家族たちへの思いが込められていること。家族に向け、自分の軌跡を残す意味合いもこもっていたことがわかる。普段は背中で子供に語りかけるタイプという若山さんは、娘達に向けては、こんな願いを記している。

《僕は元来無口で、自分の気持ちを直接人に伝えるのは、得意ではない。特に、子供たちには、自分の強さも弱さも、ありのまま見てもらうことで、それぞれがもって生まれた心を大事にしてほしい》

《店はたった一人ではできない》

書いている本人も、まさかこれが遺言として読まれることになるとは思ってもみなかっただろう。店について、家族について、若山さんはこう書いた。

《店はたった一人ではできない。皆で助け合わないと、営業はできない。だからこそ、家族の絆は、自ずと強まっていくのであろう》

とんかつ店の店主として、夫として、3人娘の父親として、商店街の仕掛け人として。誰かを支えることに徹してきた若山さんにとって、今年こそは聖火ランナーとして自らが主役として輝く年だったはずだ。

(末家 覚三/Webオリジナル(特集班))

引用元:BIGLOBEニュース

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