「あの家は変な人が住んでいる」近所から噂される引きこもり息子との地獄のような毎日

 2019年時点での国内の引きこもりの総計は推定100万人以上。実に国民のうちおよそ1%が引きこもり状態になっている。家族が、友人が、はたまた自分自身が……何かしらのきっかけで引きこもりになってしまう可能性は0ではない。


 ここでは臼井美伸氏の著書『 「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち 』より、大学受験・就職活動の失敗を経て引きこもり状態となってしまった青年が、家族との絆を回復するための第一歩をどのように踏み出したのかについて紹介する。

◇◇◇

僕は就職無理なんや!

 俊英さんは、高校3年生になり大学受験をした。しかしもう一歩というところで、希望の大学には受からなかった。

「来年もう1回受ける」ということで、予備校に通うことにした。

 高校でも予備校でも、友だちはできなかった。小学校時代の友人や近所の友人とも、付き合いがなくなっていた。

 ただ予備校と家を往復し、勉強するだけの日々。

俊英さんは、とにかく勉強に励んだ。

 1年後、俊英さんは受けた大学に全て合格した。先生もびっくりするほどの結果だった。

「嬉しかったですねー。これをきっかけに、自分で動き出してくれるかなと期待しました」(世津子さん)。

©iStock.com

 大学ではサークルに入ることもなく、バイトもしなかったが、俊英さんは授業をさぼることなく毎日通った。勉強が好きだった。

 そして相変わらず「周りの子が遊んでばかりで全然勉強しない」といつも怒っていた。

 しかし俊英さんは、ゼミに入ることができなかった。なるべく人数の少ないゼミを選ぼうとしたのが仇となり、俊英さん以外に希望者がいなかったため、そのゼミがなくなってしまったのだ。

 4年になると俊英さんも就職活動に挑んだが、なかなか難しかった。コミュニケーションが苦手なので、面接がうまくいかないのだ。

「僕はサークルもアルバイトも何もしてないから、あかんかったんや」

 結局、就職先が決まらないまま、大学を卒業した。

 それからも俊英さんは、ハローワークに行くなどして、なんとか就職先を探そうと頑張っていた。

 しかし1年くらい経ったころ、突然キレるようにこう言った。

「やめた! 無駄やー。僕は就職無理なんや!」

ドアを開けっぱなしの引きこもり

 俊英さんは、家に引きこもるようになった。

 世津子さんは、あちこちに相談に行った。相談先では、「本人を連れてきてほしい」と言われるが、俊英さんは頑として行こうとしない。

「もうちょっと待って」と言われているうちに、5年が経った。

 ときどき世津子さんが、「俊くん、この先どうするつもり? そろそろ考えな」と言うと、「母さん、言わんでくれ。その言葉が僕には一番辛いんや」と言う。

「もうそろそろ動かんと」と言うたびに、「わかってる」という言葉が返ってくる。「この家を出たいんや、一人暮らしをする」と口では言っていたが、行動することはなかった。

 俊英さんの引きこもり方は、一般的な例とは少し違うものだった。

 何より変わっていたのが、「常に部屋のドアを開け放している」ことだ。

家族との関係を保ちながら引きこもる

 引きこもりの人は、部屋にこもって家族に姿を見せなくなることが多い。部屋の中からカギをかけたり、カギがない場合はほうきを突っかい棒にしたり、家具をバリケード代わりにして閉じこもる人もいる。しかし俊英さんは、家族といつもつながっていたいようだった。

 やがて祖母が亡くなると、2階から1階の祖母が使っていた部屋に引っ越してきた。ダイニングに隣接していて、父や母の姿を見ながら過ごせる部屋だ。

 食事も、家族と一緒に3食きちんととる。

「食事だけはちゃんとするんですよ。ケンカした後でも、『俊くんご飯食べようー』と言うと、ブスっとしたまま出てくるの」(世津子さん)。

 こづかいは与えていなかったが、お年玉などを貯めたお金で出かけることもよくあった。

 理髪店には行かず、自分で髪を切っていた。洋服は、母が買ってくるものを着た。

 会話の相手になってくれて、食事も用意してくれる優しい両親のもとで、俊英さんは安心して引きこもることができた。後で思えば、まだ平和な日々だった。

地獄の始まり

 引きこもりが9年目に入るころから、俊英さんはだんだんと荒れるようになった。興奮すると、手がつけられなくなる。

 ものを投げたり、食べ物を投げたりする。ガラスを殴って手に大ケガをしたこともある。2階から外にものを投げることもあった。

 暑い日に、クーラーもない部屋でふとんをかぶって出てこなくなったこともある。

「そんなことしてたら病気になるよ」と言うと、「僕は病気になる」と答えたという。暑さで意識がもうろうとして、熱中症一歩手前になってしまった。

 父親に当たることも多かった。

 第三者のほうがいいかもしれないと、世津子さんの兄に来てもらい、説得してもらおうとしたこともある。しかし俊英さんは激高して「おじさんあっちいけー」と怒鳴るだけだった。

 伯父が帰った後、「なんでおじさんを呼んだんや」「あのおじさんは頭がおかしい!」と怒り狂った。

 次第に俊英さんは、近所の音に敏感になった。

 三上さんの家のそばには駐車場がある。そこに車が出入りするときに、敷いてある鉄板の音が大きく響くのが、気に入らないという。

 車が出入りするたび、窓を開けて「うるさいー!」と大声で怒鳴った。

「そんな声を出しちゃダメ」とたしなめても、「向こうが悪いんや。これまであの音にどんだけ苦しめられてがまんしてきたか、わからんのか!」と言う。

 ゴミの収集場で立ち話をしている近所のおばさんたちの声にも、いら立った。「くだらんことばっかり話しとる。お母さんだって何を言われとるかわからんぞ」。被害妄想も出てきたようだった。

 突然に「うわーっ!!」という大声を出すことも、しばしばだった。

 世津子さんは、駐車場の持ち主に連絡をした。「あの鉄板の音、何とかなりませんか」。すぐに、音が鳴らないように処置をしてくれた。

 しかしそのことも、俊英さんは気に入らなかった。「誰もあの音だけとは言うとらん。エンジンの音もうるさいんや」

 それからも、何かにつけ外に向かって怒鳴ることはやめなかった。

 世津子さんが「やめてー!」と懇願すると少しだけやむが、しばらくするとまた始まる。

 俊英さんは体が大きい分、声も大きい。

「僕はもう決めた。声を出すことにした」

車の音に飛び上がる日々

 そのうちに、大声だけでなく変な声を出すようになった。笑い声のような奇妙な声を、夜中に外に向けて発する。ラジオの音を、大きくして鳴らすこともあった。

 近所の人にも、「あの家に変な人が住んでいる」とだんだん知られてきた。

 小さいころからよく知っている隣人は、「俊くん、何を言うとるんやー」と応対してくれる。

 でもそのころ裏に引っ越してきたのは、小さい子どももいる家族だった。「さぞかし恐ろしかったでしょうね。申し訳なくて、身がすくむような思いでした」(世津子さん)。

 俊英さんの怒りは、定年で家にいるようになった父親にも向かった。

「おやじはなんでここにおるんや! 働かんのはおかしい」

「何をいうてんの。お父さんは定年なんだから家にいるのは当たり前でしょう。あんただって家にいるのはおかしいやん」。世津子さんはたしなめた。

 ちょうどそのころ、近県で引きこもりの息子が親を刺し殺すという事件が起こり、新聞やテレビで大きく報じられた。

「お父さん、なるべく外に出かけるようにして」。世津子さんはお願いした。

地獄のような毎日

「あのころは、本当に地獄でした」

 両親は日に日に憔悴していった。

 息子と一緒にご飯を食べても、味がしない。どんなものも、「おいしい」と思うことがなくなった。

 世津子さんは音に敏感になった。近くで車のドアがバタンと閉まる音がすると、ビクン!と飛び上がりそうになる。掃除機の音も、うるさいと言われるのではないかと心配で、俊英さんが出かけているときだけ掃除機をかけるようにしていた。

 俊英さんが「ちょっと外出てくるわ」と言って出かけていくと、少しホッとする。しかし、遠くから「ワーッ!」という声が聞こえたりすると、「俊英の声ではないか」とゾッとした。

 大声を出すことは、夜中にもあった。そんなとき世津子さんは家にいるのが耐えられなくなり、夜中の2時、3時でも散歩に出かけた。とはいえ住宅地には、24時間営業のファミレスやファストフードの店はない。どこに行くあてもなく、ただただ歩いた。

 家に帰ると、俊英さんが心配そうに「どこに行ってきた?」と聞いてくるのが常だった。

家に帰るのが恐ろしい

 それでも、世津子さんは仕事があるので家を離れる時間がある。朝、家を出ると気持ちがスッとした。

「夫には申し訳なかったと思います。『何かあったら携帯に電話してね』と言ってあったので、毎日何度もかかってきました。手に負えなそうなときは『お父さん、もう外に出て』と言ったりしました」

 仕事をしているときは気がまぎれるが、夕方、家に帰るのが恐ろしかった。自分の息子が怖かった。

 世津子さんは、毎朝通勤の前に、近所の八幡様に通ってお参りをした。「どうか俊英を助けてください」

 ずっとお世話になっている精神科医にも相談したが、相変らず「本人を連れてこないと診られません」と言われる。でも、連れて行くのは不可能だ。「統合失調症ではないか」と相談すると、「そんなことはない、部屋も片づいているんだったら病気ではない」と言われた。

 そのころ頼っていた人の一人が、Aさんだ。宗教家ではないが、色々なことが「視える」人だそうで、親身になって相談にのってくれていた。

 Aさんはこう言った。「今まで母親が甘やかしてきたのが原因。不自由のない生活をさせて、自分で何もさせなかった。独り立ちさせないといけない。まずは、夫婦でときどき出かけること。外食でも旅行でもいいから、月に1回は出かけなさい」

 そこで夫婦は、月1回旅行に出ることにした。とても旅を楽しむ気持ちにはなれないが、気持ちを奮い立たせて無理やり出かけた。しかし、出先でも息子のことが頭を離れない。「今ごろ近所の人を怒鳴ってるんじゃないかな」と思うと、気持ちが暗くなった。

 民間のサポート団体にも頼った。「また怒鳴っているんです。どうしたらいいでしょう」と電話をすると、「二人で外に出てください」と言われた。夫婦で行くあてもなく車に乗って、ぐるぐると走った。

 家庭支援センターの人には、「怖いときは、警察に電話しなさい」と言われた。

 実際に、何度か警察に電話したこともある。警官が来て、玄関先で俊英さんを諭してくれたが、それだけだった。

 父親は、心労から10キロもやせてしまった。

 あるとき、いとこに「うちに来て話をしてほしい」とお願いしてみたところ、「ふだん交流がないのに、自分がいきなり行って話をしても聞いてもらえるとは思えない。そういう人を預かってくれる施設があるようだから、調べてみたら」と言われた。

 Aさんにも、以前から「親ではもう無理だから、サポートしてくれる第三者を探しなさい」と言われていた。

引きこもり専用施設を頼る

 世津子さんは、引きこもりの人が入れる施設を探すうちに、一般社団法人「若者教育支援センター」を見つけた。精神科の病院とも連携しているらしい。

 代表の広岡政幸さんが書いた本も読んでみた。「この人なら信頼できる」

 しかし親戚の人には反対された。「そういう施設では色々問題が起こっている。だまされて高額な料金を請求されている人もいるから、やめたほうがいい」

 夫も反対だった。「そんなところはダメだ」

 世津子さんは、一生懸命夫を説得した。Aさんも、世津子さんと一緒になって夫を説得してくれた。

 ついに、世津子さんは「若者教育支援センター」に電話をかけた。

「うちの子を、そちらで預かってください」

車の中で荷造り

 しかしタイミングは最悪だった。

 東京都練馬区で、元農林水産事務次官が44歳の引きこもりの息子を刺殺する事件が起こったばかり。「若者教育支援センター」にも全国から相談が殺到して、対応に追われていたところだったのだ。

 とても、すぐにサポートをしてくれそうにはない。「待っていてください」と言われ、連絡を待ちながら過ごす日々が続いた。

 しばらくして、突然センターから電話があった。「お母さん、今から東京に来られますか」

「え、今すぐ?」

 事務局までは、新幹線を使っても3時間くらいかかる。急に仕事を休むと、周りに迷惑をかけることになる。でも、そんなことは言っていられない。夫婦ですぐに上京した。

 まずは精神科医と面接をし、次に代表の広岡さんのカウンセリングを受けた。

 できるだけ早く俊英さんを家から出し、寮で生活させようと、方針が決まった。

 俊英さんは以前から、訪問サポートを受けることに大きな抵抗があるようだった。事前に伝えると、反発して荒れるかもしれない。夫婦は、スタッフの訪問を俊英さんには告げないことにして、注意深く準備を進めた。

 大きなスーパーで、着替えや生活用品を買いそろえた。しかし家に持って帰るとバレてしまう。いつも通っている八幡様のところに車を停めて、二人でせっせと洋服のラベルを外し、荷造りをした。荷物はこっそり裏口から家に入れて、見つからないように用心深く隠した。

 いよいよ、訪問サポートの日。「どうして今日は仕事に行かないの」と俊英さんに聞かれたが、「体調悪いから休んだよ」と世津子さんはごまかした。実際、世津子さんはそのころ睡眠障害で精神科に通っていたのだ。

訪問サポートの開始

 昼ごろ、広岡さんが2人のスタッフを連れてきた。世津子さんが俊英さんに説明をすると、俊英さんの表情が変わった。舌打ちして、激しく怒り出した。

「お母さん、部屋から出てください」と言われ、世津子さんは別の部屋に移った。

 ドアの向こうから、広岡さんたちが穏やかに説得している声が聞こえてきたが、俊英さんはなかなかうんと言わないようだ。

 1時間くらい経ったころ、スタッフから世津子さんの携帯に電話があった。「俊英さんが車に乗りました。これから出発します」

 あっけない別れだった。

「『やっと出た』と思いました。寂しくはなかったです。本人が苦しんでいるのはわかっていて、どうにかしてやりたいと思っていましたから」(世津子さん)。

ゴミが散乱して荒れ果てた部屋で過ごした1年2カ月…大人の引きこもりが直面する社会復帰の難しさ へ続く

(臼井 美伸)

引用元:BIGLOBEニュース

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