令和3年度の練馬区の成人の日のつどいは中止!

練馬区の成人の日のつどい(成人式ではない)は中止

2021年1月5日に令和3年度の練馬区の成人の日のつどいは中止が決定されたことが練馬区のツイッターで告知された。新型コロナウイルスが流行っていなければ2021年1月11日に開催される予定だった。代わりに式典映像がインターネット配信されることになった。
配信内容は次の様になっている。

1.区長あいさつ
2.来賓祝辞(区議会議長)
3.20歳のメッセージ(新成人代表)
4.大谷康子氏によるバイオリン演奏 (ピアノ伴奏 小山さゆり氏)

無観客て行うとのことだったが、バイオリンの奏者にとっては聴衆のいないコンサートのようなものでモチベーションが維持するのが大変そうだ。

筆者も約20年前に成人式に参加したが、上記と同じような構成で、最後にバイオリンではなく祭りで使うような太鼓をドンドン叩いていたのを思い出す。

日本の成人式は大きな音でお祭りのような雰囲気を出す決まりごとでもあるのだろうか?

そもそも成人式は何ための行うのだろうか?一言で言えばお祝いだが、お祭りみたいな儀式になっているのは第2次世界大戦後の平和になってからのことである。

よく時代劇で武家の跡取りの息子が「お主もあと半月で元服じゃな。ほっほっほ」のようなシーンを見かけるが昔は成人式ではく「元服」と呼ばれていた。

武家社会であった当時は一家の大黒柱が戦などで命を落とすと、後継ぎとして周りに正式に認められるために元服の義を執り行う習わしだった。
そのため元服する年齢は下は10歳から上は15歳ぐらいまでかなり幅があった。

昔も現代と同じく、基本的にビシッとしたおめかしをしていたが、現代にないものとしておとなになった証として名前を変えるというものがあった。

元服する前の名前を幼名(ようみょう)といい元服してからな名を諱(いみな)と呼称した。「諱」は現代の字面では「忌み名」の通り、口にしてはいけない名前。親ではなく君主と崇める偉い人に授けられるものだった。そのため諱は本人の魂的につながっており、「本名で呼ぶと、人格を自由に操れてしまう」といった考えがあり、権力者が武家のものを支配するための儀式の意味合いがとても強かった。

昔の漫画にあった「本名で呼ぶと意思に関係なく自由に操られてしまう」という描写の元ネタだとか。

TVでは大人として義務を背負い、権利を有するなんてことを言っていいるのを耳にするが、そもそも成人するとはいったいどういうことなのだろうか?

例えば令和の時代では成人することで負う義務には次のようなものがる。

成人したことによって発生する義務

不法行為責任
未成年の場合は、民法714条の「監督義務者の責任」により子供が不法行為(故意または過失により第三者に損害を与える行為)を行った場合、子供の代わりに親が責任を追うようになっていました。成人後は親はかばったくれず自分で責任を追わなければなりません。
契約責任
子供が勝手に親のスマホを使ってゲームでガチャを回して数万円のクレジット決済を行ってしまった場合に、子供が勝手にやったことを証明すれば課金を取り消してもらえましたが、成人後の本人はガチャで課金しても、取り消してもらえず全額支払わなければなりません。
納税の義務
高い税金の筆頭として槍玉に上がる国民年金保険料や住民税を支払う義務が課せられます。自己破産をしても逃れられない死神のような存在です。

 

義務と引き換えに次のような権利を得られる。

成人したことによって有する権利

単独で契約を締結できる
保護者の同意なしで契約できる。未成年の頃は少年誌の巻末に記載されている青少年のお悩み解決グッズを通信販売で購入するのに親の同意書やサインが必要でしたが それが必要なくなります。遊び終わったゲームを売るのも自分の身分証明書だけで大丈夫になります。親にゲーム買いすぎと小言を言われなくなります。よかったね。
一定の有資格者となる
飲酒・喫煙・ギャンブル、裁判員に選ばれる可能性がある、単独で民事裁判の原告・被告になれる。10年間有効のパスポートを取得できる。変わったものだと出会い系サイトの経営ができるようになる。
性別変更の権利
性同一性障害やLGBTの人が性別取り扱い変更審判の申し立てを行って性別を変更できる。体は男だが女子マラソンで優勝を狙いたい人、女だけど男湯に入ってみたい人も合法的に可能になる性別の種類が3つ以上になりそうな未来を見据えた権利である。

まとめ

今年の成人式がオンラインになり、旧知の人と顔を合わせることができなくなって大変残念だ。
だが、本来成人式は来たるべき義務と責任を追う年齢に達したことを自覚するためのものなので、学生時代と同じノリで”うぇーい”したいだけの陽キャにとっては面白くないことだろう。

しかし、40年近く陰キャをしている筆者にとってはこれで良かったと強く思う。
氷河期時代の終盤だったので、ブラック企業にしか就職できなく生きてくこと以外の余裕はなかったが今年の新成人は間違いなく氷河期世代の後継者としてゆとり世代に虐げられる新社会人としての生活を余儀なくされるからだ。わははは。

上を見ると不満がたまるばかりだが、ようやく氷河期並に恵まれない世代ができた。
もう寿命の半分を過ぎて、死に際のことを考える時期だが、コロナ世代よりマシな人生だったと思いながら余生を過ごすとしよう。

おっと、私の書いた記事にイラッときても、文句は○○共産党に言ってくれ。
俺も権力者の家計に生まれて、キックバックだけで家が立つような人生を贈りたかったなぁ~。

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