「中高年引きこもり」練馬事件が示す甘えの構造

チェコのドボルツェ村にある動物園で飼育されるホワイトライオンの父親と子ども(2017年7月18日撮影)。(c)AFP/Michal Cizek〔AFPBB News〕

 6月1日の午後3時40分頃、東京都練馬区の住宅から「息子を刺殺した」という110番通報があり、中央官庁で事務次官を経験した76歳の容疑者が逮捕されたことが、1日夕刻に広く報道されました。


 このニュースを私が目にしたのは、日本国内と7時間の時差があるドイツのベルリンで、仕事の準備をしようと、インターネットにアクセスした時でした。

 ドイツ時間の朝で、ただちに想起したのは数日前、5月28日に川崎で発生した無差別殺傷事件でしたので、高齢化するニート、引きこもりという切り口で前回のコラムを即日入稿しました。

 時事の話題であり、編集部のご判断ですでに入稿していた「チバニアン」の続編に先立って公開していただきました。

 練馬事件の捜査が進むにつれ、川崎事件が練馬事件の引き金を引いた経緯などが明らかになり、幾重にも言葉を失い、考え込まざる得ない状況になっています。

 これらについて、一般のマスコミが触れないであろう切り口から、問題を考えてみたいと思います。

究極の「再発防止」だった練馬事件

 何より衝撃的であったのは、練馬事件の実行犯と考えられる、元事務次官経験者のKH容疑者が「川崎事件があったから、息子を刺した」と供述している点でしょう。

 6月1日土曜日、練馬区のKH容疑者宅に隣接した小学校で運動会が開かれ、子供たちの歓声や競技紹介のアナウンス、運動会特融の音楽などが聞こえてくると、事件で命を失ったKE被害者は「うるせぇんだよ、あの子供たち、ぶっ殺してやる」などと叫び、激しい口論になったと伝えられます。

 かねて覚悟していた父親のKH容疑者は、意を決して台所に赴き、包丁を手にすると、息子の胸から首、腹など数十箇所をめった刺しにし、完全に絶命させたうえで、自ら「息子を刺し殺しました」と110番通報した、とされています。

 こと、ここに至る道のりは短いものではなく、ほぼ30年に及ぶと思われる、加害者=被害者一家のたどってきた歴史すべての重みがかかっていると考えるべきでしょう。

 しかし、事件が起きる直前に限って、報道されている情報を確認してみると、以下のような時系列になるようです。

 5月25日 土曜日。

 かねて別居していた被害者が、実家に戻りたいと連絡して帰宅。いきなりそこで両親に暴力を働き、事件後の警察の捜査でも、アザなどが確認されているとのことです。

 被害者は、加熱したライターを押し当ててやけどを負わせる、といったDV、家庭内暴力をふるっているとの報道も目にしました。このような状況は昨日今日のことではないとも伝えられました。

 このトラブルの折、次に何かあったら、容赦しないといったやり取りがあった模様だったわけですが・・・。

 週が明けた5月28日。

 火曜日の午前7時46分頃、登校途中の小学生を狙った川崎事件発生。KH容疑者はこの事件を深刻に受け止め、もし息子がそのような挙に及ぶようなことがあったら、他人には決して迷惑はかけられないから・・・といった内容の会話を、被害者には母親にあたる加害者の妻と交わしたとのことでした。

 練馬事件のあった住宅は、ダイレクトに隣接する立地で小学校が存在していました。

 不幸な偶然としか言いようがありませが、そこで週末土曜の6月1日、朝から運動会が行われ、加害者宅ではその物音、運動会の騒音を巡って、まさに生きるか死ぬかという口論となりました。

 午後3時半頃、このタイミングが、運動会の進行とどのような前後関係になるのか分かりませんが、父親は息子の命を絶つ決意をし、犯行に及びました。

 発生直後の刑事事件に関して、あまり想像をたくましくすべきではないと思いますが、無意味に多幸症的な運動会の伴走音楽と学校放送、子供たちの歓声などが聞こえるなか、それ襲撃してやると怒声を上げる40歳過ぎの息子と、決意をもって親としてけじめをつけることにしてしまった父の絶望、めった刺しに及んだ犯行の時間、その間、加害者の妻である被害者の母の心中など、察するにあまりあり、まさに言葉を失います。

 日本国内ではこの事件については広く報道されていると思いますし、ネットゲーム界(「ドラクエX」)で知られた存在であったという被害者のアカウントや、SNSのアカウント、開設したホームぺージなどは、ドイツにいる私でも閲覧可能で、様々なコメントが出ているのも一通りチェックして本稿を準備していますが、そうしたことには一切触れません。

 ただ1点、ここで触れておかねばならないと思うのは、「ひと様に迷惑をかけることのないよう、父親が息子の命を奪った」と供述している点です。

 この父親の供述を賞賛する声もあるようですし、とんでもないと批判する意見も目にしましたが、ここでは価値中立的に考え、善し悪しには一切触れません。

 ただ、この父親は、息子の命を、言ってみれば自分の所有物のように考えていた面がある。これは指摘することができるように思います。

 つまり、自分たち夫婦が設けた子で、手塩にかけて大事に育てた・・・はずだった。

 それがどこかの時点で歯車が狂い始め、やがてニート化する、DVに及ぶなど、様々な問題が発生してしまった。

 最終的には、事件の6日前にあたる5月26日、KE被害者はKH容疑者に対して激しい暴行を加えたとされ、それは、76歳の父親をして、44歳の息子を、抹殺するしかほかに方法はない、と思わせるに足る、ひどいものだった。

 KE被害者は定職に就かず、終日ネットゲーム漬けとなりながら、それなりの生活水準を保っていたことが伝えられ、親からの仕送りで生計を立てていたと思われます。

 また、母親を中心に家庭内暴力をふるうようになったのは、中学2年からとのことで、14歳くらいであるとするなら、30年経ってもそれが治らなかったというのが、本質的な悲劇だったのかもしれません。

 私の疑問はシンプルです。

 報道されているかもしれない、またされていないかもしれない、ほかのあらゆる観点を捨象するとして、76歳の父親は、44歳にもなる息子を「扶養」し続けたのか?

 中学2年生の少年が、母親に暴力をふるうというのは、もちろんそういう家庭では深刻な問題だと思いますが、実は「愛憎半ばする」であって、母親を愛するがゆえに憎む、というコインの両面が一体になった行動と考えるべきかと思います。

 もし、本当に人が人を嫌いになったら、憎むという以前に無関心になるものです。

 特に肉親の間で、憎悪の感情があるとするなら、それはまた、近親の情が残っているから、そういう甘えも生まれる側面がある。

 子供がお母さんに対して、暴れ、甘えるというとき、まさかお母さんは最終的に自分を見放したりはしない、という、根の底の信頼、安心、あるいは思考停止と依存があることが少なくないように思います。

 44歳にもなって76歳の父親に激しい暴行を加えたという報道が事実であるなら、一方で息子としては、父親に愛憎ごたまぜになった、自分自身どうしようもない感情をもてあましながら、その裏に、本当は大好きなお父さんは、最後まで自分のことは守ってくれるという、ある思考停止と依存があったかもしれません。

 そして、その根の底の信頼が、加害者であるKH容疑者には、なかった。

 犯行には関係していないけれど、もしかすると事件の中心に存在しているかもしれない、母親にも、そのような感情はなかった。

 いくつになっても、どれだけ暴れても、甘えても、結局は自分を保護してくれる、骨がらみであるけれど絶対的な存在でもあったお父さん、お母さん。

 そういう存在が、実は錯覚か虚妄にすぎないものになってしまっていたことに、中年を迎えながら、様々な遠近感を持ち損ねていたであろう息子は、ついに気づかずに、このような事態を迎えてしまったのではないか・・・。

 そのような印象を拭うことができません。

 5月25日に「同居」を息子が願い出たとき、両親がそれを断っていたなら、今回の事件は起きていなかった可能性があるでしょう。

 なぜ、そこで保つべき「距離」をもてなかったのか?

 そこに、親が子供をどこかで「所有」しつつ「スポイル」してしまう、という悪循環を生み出していたのではないか?

 この子を作ったのも私たち両親なら、育てたのも、育て損ねたのも、そしていま、本当に人様に迷惑をかけるかもしれないとき、何とかするのも、親の責任だと思い詰めたらしい、伝えられるKH容疑者の供述に垣間見える、意識のど真ん中にぽっかりとあいた死角の穴こそ、問題ではないか、と思うのです。

 息子を、一個の独立した人格として認めるとともに、それを突き放し、生活費などは「自分で生計を立てておのれを養え!」と、千尋の谷から我が子を谷に叩き落す、親としての子離れがあったなら、こういうことは起きていなかったのではないか?

 しばらく前のことですが、JRの車両の中で優先席に小学生の子供を平気で座らせている親を見ました。

 別段病気や怪我などもなく、子供は率先して立って高齢者に席を譲るべき、と教えられた世代の私としては、若い親がさらに下の世代の子供をスポイルしている現場と認識したのですが、そういう延長に今回のような事件があるように思われてなりません。

 スポイル、甘やかしという問題を、超高齢化する日本社会の中で、もう一度考え直してみる必要があるのではないか?

 相互に甘え合い、甘やかし合う馴れ合いは、決して本当の意味での愛情でもなければ、人を大切にする行動でもないと私は思います。

 真の意味での愛情に枯渇し、窒息しながらもがき苦しむ中で、今回のような事件が発生してしまったのではないか・・・。

 いまだ伝えられる事実が少ない、発生して1週間を経過しない事件ですので、今後の報道に注目したいと思いますが、「ポスト・トゥルース」が懸念される世情のなか、このような事件が発生してしまったことが、個人的には残念でなりません。

筆者:伊東 乾

引用元:BIGLOBEニュース

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